選挙のパラドクス -- なぜあの人が選ばれるのか?
ウィリアム・パウンドストーン 著 | 篠儀直子 訳
民主主義は選挙による多数決の支配である、といわれる。しかし、民主主義は一つではないし、選挙システムも一つではない。さまざまな選挙システムは、それぞれ政治形態をも決定する。たとえば、アメリカのように勝者総取りシステムである相対多数投票の国では、二大政党制になりがちで、比例代表制の国では多数の政党が林立する傾向がある。また、近年の日本では、小選挙区と比例代表制の採用が、政治家のあり方をかなり変えてしまった。
本書は、アメリカの選挙制度を検討しつつ、さらに、もっと原理的に投票システムを検討しようとするものである。アメリカの大統領選挙では、スポイラー(有力者の票を食う候補者)が問題となってきた。たとえば、2000年の大統領選挙で、環境問題を唱えた民主党のゴアが、緑の党のネーダーが立候補したため、共和党のブッシュに僅差(きんさ)で敗れた。しかし、このような例は偶発事ではない。これは根本的に、「相対多数投票制度」につきまとう問題なのだ。
たとえば、3人以上の候補者がいるとき、その中で、意見が似ている候補者らに票が割れ、どちらも落選してしまうことがある。つまり、意見としては多数派なのに、少数派に負けてしまう。この種の「投票のパラドクス」は、18世紀にコンドルセによって発見され、20世紀後半アローによって、もっと一般的に定式化された。これを避けようとして、さまざまな工夫がなされてきた。比例代表制をはじめ、選好順位によって違った得点を与える各種の方法などが提案されて きた。しかし、どのような方法も「投票のパラドクス」を超えるものではなかった。
本書にはその歴史的経緯がわかりやすく書かれている。著者は今後に、よりよき投票システムが得られるという希望を捨てていないようだ。だが、「投票のパラドクス」は民主主義の「致命的欠陥」だろうか。むしろそれは、民主主義の核心が投票システムなどに還元できるものではないということを、逆説的に示しているのではないか。
柄谷行人 |2008.9.7 |朝日新聞 書評欄掲載