著作年譜 1966-1981
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1966年(昭和41年)25歳 | |||
5月 | 6日、「思想はいかに可能か」が第11回五月祭賞評の評論部門の佳作として『東京大学新聞』に掲載される。筆名は原行人 | ||
1967年(昭和42年)26歳 | |||
3月 | 東京大学大学院人文科学研究科英文学専攻課程を終了。修士論文“Dialectic in Alexandria Quartet”を提出 | ||
4月 | 國學院大学非常勤講師に就任 | ||
5月 | 15日、「新しい哲学」が第12回五月祭賞の評論部門の佳作として『東京大学新聞』に掲載される。筆名は柄谷行人。この頃、中上健次を知る | ||
12 月 | 「『アレクサンドリア・カルテット』の弁証法」を『季刊・世界文学』に発表 | ||
1968年(昭和43年)27歳 | |||
日本医科大学専任講師に就任 | |||
1969年(昭和44年)28歳 | |||
5月 | 「〈意識〉と〈自然〉—漱石試論」が第一二回群像新人文学賞評論部門の受賞作として『群像』6月号に掲載される | ||
10 月 | 「江藤淳論—天の感覚—」を『群像』11月号に発表 | ||
1970年(昭和45年)29歳 | |||
3月 | 「大江、安部にみる想像力と関係意識—自己消滅への衝迫力」を『日本読書新聞』に発表 | ||
4月 | 法政大学第一教養部専任講師に就任 | ||
6月 | 「『実践』とは何か—生存本質への〈畏れ〉」を『日本読書新聞』に発表 | ||
7月 | 「自然過程論」を『情況』8月号に発表 「〈文芸季評〉」を『季刊芸術』に連載(〜秋号・10月号) | ||
8月 | 「錯乱をみつめる眼—古井由吉『男たちの円居』」を『文芸』10月号に発表 | ||
10 月 | 「自立論の前提」を『現代の眼』11月号に発表 「芥川における死のイメージ」を『國文學』11月号に発表 | ||
11 月 | 23日、「思想体験の継承 国家・民族・神話」を『日本読書新聞』(アンケート)に発表 | ||
12 月 | 「読者としての他者—大江・江藤論争」を『國文學』1月号に発表 | ||
1971年(昭和46年) 30歳 | |||
1月 | 共著『現代批評の構造』を思潮社から刊行 ジョージ・スタイナー「オルフェウスとその神話—クロード・レヴィ=ストロース論」(翻訳) を「現代批評の陥穽—私性と個体性」を『現代批評の構造』に発表 | ||
3月 | 「閉ざされたる熱狂—古井由吉論」を『文芸』4月号に発表 | ||
4月 | 法政大学助教授に就任 9,10日、「内面への道と下界への道」を『東京新聞』夕刊に連載 | ||
6月 | 「批評家の『存在』」を『文学界』7月号に発表 「発語と沈黙—吉本隆明における言語」を『國文學』7月号に発表 「高橋和巳の文体」を『海』7月号に発表 | ||
7月 | 「内側から見た生—『夢十夜』論」を『季刊芸術』夏号に発表 | ||
9月 | 「漱石の構造—漱石試論序章」を『國文學』九月臨時増刊号に発表 | ||
11月 | 「六十年以降の文学状況—精神の地下室の消滅」を『日本読書新聞』に発表 | ||
12 月 | 「真理の彼岸—武田泰淳『富士』」を『文芸』1月号に発表 「埴谷雄高における夢の呪縛」を『國文學』1月号に発表 「一頁時評」を『文芸』1月号から連載(〜12月号) | ||
1972年(昭和47年)31歳 | |||
1月 | 「心理を超えたものの影—小林秀雄と吉本隆明」を『群像』2月号に発表 | ||
2月 | 『畏怖する人間』を冬樹社から刊行 | ||
3月 | 「サドの自然概念に関するノート」を『ユリイカ』4月号に発表 | ||
6月 | 5日、「淋しい『昭和の精神』」を『日本読書新聞』に発表 「知性上の悪闘」を『國文學』臨時増刊号に発表 | ||
7月 | 「夢の世界—島尾敏雄と庄野潤三」を『文学界』8月号に発表 | ||
8月 | 「場所と経験」を『新潮』9月号に発表 「小川国夫『試みの岸』—省略のメタフィジック」を『文学界』9月号に発表 | ||
10 月 | 「私小説の両義性—志賀直哉と嘉村磯多」を『季刊芸術』秋号に発表 | ||
12 月 | 「芥川龍之介における現代—『藪の中』をめぐって」を「『國文學』臨時増刊号に発表 エリック・ホッファー著『現代という時代の気質』を柄谷真佐子との共訳で晶文社から刊行。「E・ホッファーについて」を『現代という時代の気質』に発表 | ||
1973年(昭和48年)32歳 | |||
2月 | 「マクベス論—悲劇を病む人間」を『文芸』3月号に発表 | ||
3月 | 「人間的なもの—今日の小説の衰弱について」を『海』4月号に発表 | ||
5月 | 17日、「平常な場所での文学」を『東京新聞』夕刊に発表 21日、「マルクスへの視覚—堀立小屋での思考」を『日本読書新聞』に発表 | ||
7月 | 「『一族再会』について」を『季刊芸術』夏号に発表 | ||
8月 | 「時代との結びつき」を『群像』8月号に発表 「鴎外における歴史と自然」を『國文學』9月号に発表 16日、「ものと観念」を『東京新聞』夕刊に発表 | ||
11 月 | 「無償の情熱—北原武夫」を『文芸』12月号に発表 | ||
12 月 | 4日、「生きた時間の回復」を『東京新聞』夕刊に発表 「柳田国男試論」を『月刊エコノミスト』1月号から連載(〜12月号) | ||
1974年(昭和49年)33歳 | |||
1月 | 「マルクスの影」を『ユリイカ』2月号に発表 「寒山拾得考」を『文学界』2月号に発表 | ||
2月 | 「歴史と自然—鴎外の歴史小説」を『新潮』3月号に発表 | ||
3月 | 「マルクスその可能性の中心」を『群像』4月号から連載(〜9月号) | ||
5月 | 「自作の変更について」を『法政評論』第一号に発表 「牧野信一における幻想と仮構」を『國文學』6月号に発表 | ||
12 月 | 「遠い眼・近い眼」を『群像』1月号に発表 「柳田国男の神」を『國文學』1月号に発表 | ||
1975年(昭和50年)34歳 | |||
2月 | 『意味という病』を河出書房新社から刊行 | ||
4月 | 法政大学教授に就任 「現実について—『日本文化私観』論」を『文芸』5月号に発表 「人を生かす思想—江藤淳」を『國文學』5月号に発表 | ||
6月 | 「自然について—続『日本文化私観』論」を『文芸』7月号に発表 | ||
9月 | イェール大学東アジア学科客員教授となる(1977年1月ま で) | ||
11 月 | 「思想と文体」(中村雄二郎との対談)を『現代思想』12月号に発表 | ||
1976年(昭和51年)35歳 | |||
1月 | ポール・ド・マンの要請で“Interpreting Capital”を執筆(未出版) | ||
8月 | ヨーロッパへ旅行 | ||
1977年(昭和52年)36歳 | |||
1月 | 「歴史について—武田泰淳」を『季刊芸術』冬号に発表 | ||
2月 | 帰国 | ||
3月 | 28〜29日、「文芸時評〈上〉〈下〉」を『東京新聞』夕刊に連載 「感じることと考えること」を『文芸』4月号に発表 | ||
8月 | 「地底の世界—『漱石論』再考」を『文体』創刊号に発表 | ||
9月 | 「マルクスの系譜学—予備的考察」を『展望』10月号に発表 「貨幣の形而上学—マルクスの系譜学」(二回目以降は「マルクスの系譜学—貨幣の形而上学」)を『現代思想』10月号から連載(〜1978年2月号) | ||
10 月 | 「作品と作者の距離」を『國文學』11月号に発表 | ||
11 月 | 「アメリカについて」(安岡章太郎との対談)を『群像』1月号に発表 | ||
1978年(昭和53年)37歳 | |||
2月 | 「反動的文学者」を『群像』3月号に発表 | ||
4月 | 「漱石と文学」を『國文學』5月号に発表 | ||
7月 | 「風景の発見—序説」を『季刊芸術』夏号に発表 「唐十郎の劇と小説」を『海』8月号に発表 「『門』について」を夏目漱石『門』(新潮文庫)に発表 『マルクスその可能性の中心』を講談社から刊行 | ||
8月 | 「梶井基次郎と『資本論』」を『新潮』9月号に発表 | ||
9月 | 「手帖」を『カイエ』10月号から連載(〜七九年12月号) | ||
10 月 | 「内面の発見」を『季刊芸術』秋号に発表 | ||
12 月 | 「私小説の系譜学」を『國文學』1月号に発表 「時評家の感想」を『文芸』1・2月合併号に発表 コラム「街の眺め」を『群像』1月号から連載(〜1979年6月号) | ||
1979年(昭和54年)38歳 | |||
1月 | 「告白という制度」を『季刊芸術』冬号に発表 | ||
2月 | 「交通について」を『現代思想』3月号に発表 | ||
4月 | 『反文学論』を冬樹社から刊行 | ||
6月 | 「文体について」を『文体』夏季号に発表 「仏教について—武田泰淳の評論」を『武田泰淳全集』第一七巻の解説として発表 | ||
7月 | 「病という意味」を『季刊芸術』夏号に発表 「占星学のこと」を『言語生活』8月号に発表 | ||
9月 | 『小林秀雄をこえて』(中上健次との共著)を河出書房新社から刊行 | ||
10 月 | 「根底の不在—尹興吉「長雨」について」を『群像』11月号に発表 | ||
11 月 | 「安吾、理性の狂気」を『國文學』12月号に発表 | ||
12 月 | 「児童の発見」を『群像』1月号に発表 「内省と遡行」を『現代思想』1月号から連載(〜1980年7月号) | ||
1980年(昭和55年)39歳 | |||
3月 | 「ツリーと構成力」(寺山修司との対話)を『別冊新評』に発表 | ||
4月 | 「構成力について—二つの論争」を『群像』5月号に発表 | ||
5月 | 「続構成について」を『群像』6月号に発表 | ||
7月 | 「場所についての三章」を『文芸』8月号に発表 『日本近代文学の起源』を講談社から刊行する | ||
9月 | イェール大学比較文学科客員研究員として翌年三月までアメリカに滞在 | ||
12月 | 「隠喩としての建築」を『群像』1月号から連載(〜8月号) | ||
1981年(昭和56年)40歳 | |||
3月 | 帰国 | ||
4月 | 6日、「八〇年代危機の本質」を『毎日新聞』夕刊に発表 | ||
5月 | 18日、「言語・貨幣・国家—私的な状況論」を「日本読書新聞」に発表 | ||
7月 | 「アメリカから」を『文芸』8月号に発表 「中上健次への手紙」を『韓国文芸』に発表 | ||
8月 | 「小島信夫論」を『新潮現代文学全集三七小島信夫』に発表 「形式化の諸問題」を『現代思想』9月号に発表 「検閲と近代・日本・文学—柳田国男にふれて」を『中央公論』9月号に発表 「内輪の会」を『新潮』9月号に発表 「ある催眠術師」を『文学界』9月号に発表 | ||
9月 | 「安吾はわれわれの『ふるさと』である」を講談社版『坂口安吾選集』内容見本に発表 11日 、コラム「新からだ読本」(1)〜(12)を『読売新聞』夕刊に連載(〜9月24日) | ||
10 月 | 「外国文学と私・歌の別れ」を『群像』11月号に発表 「六〇年代と私」を「中央公論」臨時増刊号に発表 | ||
11月 | 「外国文学と私・外国文学者の悲哀」を『群像』12月号に発表 「『現代思想』と私」を『現代思想』12月号に発表 | ||
12月 | 「『草枕』について」を夏目漱石『草枕』(新潮文庫)に発表 「サイバネティックスと文学」を『新潮』1月号に発表 「一頁時評」を『文芸』1月号から連載(〜11月号) | ||
注・雑誌の発行年月は、現実の動向に合わせて実際に発行された年月を記述し、誌名に月号などを明示した。 |