著作年譜 1982-1995
| |||
1982年(昭和57年)41歳 | |||
1月 | 「凡庸なるもの」を『新潮』2月号に発表 | ||
2月 | 「建築への意志・『言語にとって美とはなにか』を読む」を『野生時代』3月号に発表 「鏡と写真装置—予備的考察」を『写真装置』四号に発表 「丸山圭三郎『ソシュールの思考』—言語という謎」を『中央公論』3月号に発表 | ||
4月 | 「『反核アピールについて』再論」を『話の特集』5月号に発表 | ||
5月 | 「受賞の頃—ある錯乱」を『群像』6月号に発表 「伝達ゲームとしての、思想」を『翻訳の世界』6月号に発表 | ||
6月 | 7日「制度としての『癌』意識—ソンタグ著『隠喩としての病い』にふれて」を『週刊読書人』に発表 | ||
8月 | 12日「核時代の不条理」を『朝日新聞』に発表 | ||
1983年(昭和58年)42歳 | |||
3月 | 「私と小林秀雄」を「朝日新聞」夕刊に発表(2日) 「懐疑的に語られた『夢』」を『ユリイカ』4月号に発表 「言語・数・貨幣」を『海』4月号から連載(〜10月号) | ||
4月 | 「ブタに生れかわる話」を『群像』5月号に発表 | ||
5月 | 「凡庸化するための方法」を『はーべすたあ』6月号に発表 | ||
7月 | 「文化系の数学」を『数学セミナー』8月号に発表 | ||
8月 | 「物語のエイズ」を『群像』9月号に発表 | ||
9月 | コロンビア大学東アジア学科客員研究員になる(翌年3月まで) 10日 「モダニティの骨格」を「日本読書新聞」に発表 | ||
1984年(昭和59年)43歳 | |||
2月 | メキシコ旅行 | ||
4月 | アメリカより帰国 | ||
5月 | 対話集『思考のパラドックス』を第三文明社から刊行 | ||
6月 | 「ポール・ド・マンの死」を『群像』7月号に発表 | ||
9月 | 「奇蹟的な作品」を森敦『意味の変容』付録「『意味の変容』ノオト」筑摩書房に発表 | ||
10月 | 「批評とポストモダン」を『海燕』11月号から連載(〜12月号) | ||
12月 | 「無作為の権力」を『文芸』1月号に発表 「探究」を『群像』に連載(〜1988年10月号) | ||
1985年(昭和60年)44歳 | |||
1月 | 8日「テクノロジー」を「朝日新聞」夕刊に発表 | ||
2月 | 「物語をこえて」を『國文學』3月号に発表 「日本文化の系譜学」(“Genealogie de la culture Japonaise ”)を中村亮二の訳でMagazine litteraire—1985 Marchに発表 | ||
5月 | 『闘争のエチカ』(蓮實重彦との対話集)を河出書房新社から刊行 『ポスト・モダニズム批判—拠点から虚点へ』(笠井潔との対話集)を作品社から刊行 『内省と遡行』を講談社から刊行 | ||
8月 | 13日「アジア・ブームの中で—日本のオリエンタリズム」を『読売新聞』夕刊に発表 | ||
10月 | 対話集『批評のトリアーデ』をトレヴィルから刊行 | ||
11月 | 『マルクスの可能性の中心』(講談社刊)で亀井勝一郎賞を受賞 | ||
1986年(昭和61年)45歳 | |||
1月 | パリ・レコール・ノルマル・シュペリウールで講演 (“Postmodern and Premodern in Japan”) | ||
2月 | 「注釈学的世界—江戸思想序説」を『季刊文芸』に連載(春季 号〜秋季号八月・未完) | ||
4月 | 「柳田国男」を『言論は日本を動かす』第三巻(講談社)に発表 “Un esprit, deux XIXe siecle ”に「一つの精神、二つの十九世紀」(cahiers pour un temps)が中村亮二訳で発表。同論文は、のちに『現代思想』臨時増刊号「ポストモダンと日本」一九八七年一一月に掲載され、 “Postmodernism and Japan”The South Atlantic Quarterly 1988に収録される | ||
10月 | 「精神の場所—デカルトと外部性」を『ORGAN』創刊号に発表 | ||
12月 | 『探究・』を講談社から刊行 パリ・ポンピドー・センターで蓮実重彦・浅田彰とシンポジウムに出席 | ||
1987年(昭和62年)46歳 | |||
4月 | ボストンで「ポストモダンと日本」をめぐるワークショップに参加。日本では「現代思想」、アメリカではデューク大学プレスから刊行される | ||
6月 | 群像新人文学賞選考委員になる | ||
9月 | 「昭和を読む」を五回にわたってを『読売新聞』夕刊に連載(9月7〜11日) 「『貴種と転生』四方田犬彦—物語と歴史」を『新潮』10月号に発表 「個別性と単独性」を「哲学」創刊号に発表 | ||
11月 | 「一つの精神、二つの一九世紀」を『現代思想』臨時増刊に発表 | ||
12月 | 『「固有名をめぐって」を『海燕』に断続的に六回連載(〜 1989年12月号) | ||
1988年(昭和63年)47歳 | |||
4月 | デューク大学で講演(“On Transcendental”) | ||
5月 | 『季刊思潮』(思潮社)を鈴木忠志と創刊 「ポストモダンにおける『主体』の問題」を『季刊思潮』創刊号に発表 | ||
10月 | 「ライプニッツ症候群—吉本隆明論」を『季刊思潮』二号に発表 | ||
11月 | 「堕落について—坂口安吾『堕落論』」を『新潮』12月号に発表 「中野重治と転向」を『中央公論文芸特集』冬季号に発表 | ||
12月 | 野間文芸新人賞の選考委員になる 「死なない問題」を『海燕』1月号に発表 「ライプニッツ症候群—西田哲学」を『季刊思潮』No.3に発表 | ||
1989年(昭和64年・平成元年)48歳 | |||
1月 | 1日「天皇と文学」を『共同通信』に発表 | ||
3月 | 「 とは何か」(三好行雄との対談)を『國文學』4月号に発表 | ||
5月 | カリフォルニア大学サンディエゴで講演(“On Conversion”) 「小説という闘争—中上健次の『奇蹟』を読む」を『群像』6月号に発表 『探究 I 』を講談社から刊行 | ||
6月 | 「漠たる哀愁」を『海燕』7月号に発表 「近代日本の批評 昭和前期・」を『季刊思潮』No.5に発表 | ||
7月 | 3日「『日本』に回帰する文学」を『朝日新聞』夕刊に発表 | ||
9月 | 「死者の眼」を『群像』10月号に発表 「近代日本の批評 昭和前期・」を『季刊思潮』No.6に発表 「他者とは何か」(三浦雅士との対談)、「柄谷行人年譜」を『國文学』10月号に発表 | ||
11月 | 「文学のふるさと」(島田雅彦との対談)を『新潮』12月号に 発表 | ||
12月 | 「死語をめぐって」を『文學界』1月号に発表 「漱石とジャンル—漱石試論・」を『群像』新年号に発表する | ||
1990年(平成2年)49歳 | |||
1月 | 8日「『歴史の終焉』について」を『読売新聞』夕刊に連載(〜12日) | ||
3月 | 「歴史の終焉について」『季刊思潮』No.8に発表。この号で『季刊思潮』を終刊 | ||
5月 | UCLA Irvine にProfessor in residenceとして滞在(〜6月) 新潟の安吾の会で坂口安吾について講演 中上健次・筒井康隆らと文芸家協会を脱退 「六十年」を『海燕』6月号に | ||
6月 | 「やめる理由」を『すばる』7月号に発表 「大江健三郎について—「終り」の想像力」(笠井潔との対談)を『國文學』7月号に発表 | ||
7月 | 「安吾の『ふるさと』」を『文學界』8月号に発表 | ||
9月 | コロンビア大学東アジア学科客員教授としてニューヨークに滞在 (〜12月) | ||
11月 | 「『謎』としてとどまるもの」を島尾敏雄『贋学生』(講談社文芸文庫)に発表 『終わりなき世界』(岩井克人との対話)を太田出版から刊行 | ||
12月 | 「手紙」を『現代思想』1月号に発表 「ナショナリズムとしての文学」を『文學界』1月号に発表 | ||
1991年(平成3年)50歳 | |||
1月 | 湾岸戦争反対の活動をする | ||
3月 | 『批評空間』(福武書店)を創刊 『日本近代文学の起源』再考」を『批評空間』に連載(〜6月・No.2) 「『湾岸』戦時下の文学者」を『文學界』4月号に発表 | ||
4月 | 「国家は死滅するか」を『現代思想』5月号に発表 | ||
5月 | ロサンジェルスで開催されたANY会議で講演、パネル 「『批評』とは何か」(小森陽一・柘植光彦との座談会)を『國文學』6月号に発表 | ||
8月 | 比較文学会国際大会(青山学院)で講演 | ||
9月 | 「俳句から小説へ—子規と虚子」を『國文學』10月号に | ||
10月 | 「テクストとしての聖書」を『哲学』一一月号に発表 | ||
11月 | 3日、国際シンポジウム「ミシェル・フーコの世紀」(東大駒場)で「『牧人=司祭型権力』と日本」を発表 「双系制をめぐって」を『文學界』12月号に発表 「路地の消失と流亡」を『國文學』12月号に発表 | ||
12月 | 「夏目漱石論」(『群像』)を完成 | ||
1992年(平成4年)51歳 | |||
1月 | 「日本精神分析」を『批評空間』に連載(〜1993年4月) NHKで川村湊・リービ秀雄・岩井克人との座談会 五月までコーネル大学society for the humanitiesに滞在 『隠喩としての建築』を改稿する | ||
3月 | 酒井直樹との共同講義 『探究1』を学術文庫から刊行 | ||
4月 | AAS(全米アジア学会)で講演(「日本のファシズムと美学」) 「現代文学をたたかう」(高橋源一郎との対談)ならびに「漱石論」を『群像』臨時増刊号に発表 | ||
5月 | 帰国。中上健次を見舞う | ||
6月 | 大分県湯布院で開催されたANYの会議で発表、パネル | ||
8月 | 勝浦の病院に中上健次を見舞う。12日、中上健次死去。22日、中上健次の告別式で葬儀委員長を務める | ||
9月 | 追悼「朋輩中上健次」を『文學界』10月号に発表 「中上健次・時代と文学」(川村二郎との対談)を『群像』10月号に発表 | ||
10月 | 「フーコーと日本」(レプレザンタシオン)を発表 『夏目漱石論集成』を第三文明社から刊行 | ||
11月 | 比較文学会国際大会で講演(「エクリチュールトナショナリズム」) | ||
12月 | 雑誌『Social Discourse』(モントリオール大学出版)をダルコ・スーヴィンと共同編集 同誌に「非デカルト的コギト」を執筆 『探究3』を『群像』新年号から隔月連載(〜1996年9月号) | ||
1993年(平成5年)52歳 | |||
1月 | 「坂口安吾・可能性の中心」(関井光男との対談)を『国文学解釈と鑑賞』二月号に発表 | ||
2月 | 「キューバ・エイズ・60年代・映画・文芸雑誌」(村上龍との対談)を『國文學』3月号に発表 「友愛論」(富岡多恵子との対談)を『文学界』3月号に発表 「漱石の戦争」(小森陽一との対話・92年8月末収録)を『海燕』3月号に発表 | ||
3月 | 「文学の志」(後藤明生との対話」を『文學界』4月号に発表 「新人賞選考委員として」を『海燕』4月号のアンケートに寄稿 | ||
6月 | 5日、バルセロナで開かれたANY会議で講演、パネル フレドリック・ジェイムソンの立教大学講義でコメンテーターを務める | ||
7月 | 「解説」を中上健次『地の果て 至上の時』(新潮文庫)に発表 | ||
8月 | 3日、熊野大学シンポジウム・「『千年』の文学—中上健次と熊野」に参加 『「小説」の位相』を中上健次『化粧』(講談社文芸文庫)に発表 『ユーモアとしての唯物論』を筑摩書房から刊行 | ||
9月 | 「韓国と日本の文学」を第二回日韓作家会議で講演 「差異の産物」を『新潮』10月号に発表 | ||
11月 | 「E・W・サイード『オリエンタリズム』」を『國文學』臨時増刊号に発表 「『マルクス』への転向」(インタビュー)を『海燕』12月号に発表 | ||
12月 | 「被差別部落の『起源』—「日本精神分析」補遺」、「中上健次をめぐって」(蓮實重彦・浅田彰・渡部直巳との座談会)」を『批評空間』No.12に発表 | ||
1994年(平成6年)53歳 | |||
1月 | 3日、「真に内発的であるために」を『東京新聞』夕刊に発表 | ||
2月 | 「第三種の遭遇」を『すばる』3月号に発表 『戦前の思考』を文藝春秋社から刊行 | ||
3月 | 第二次『批評空間』を太田出版から創刊 「美術としての日本—岡倉天心とフェノロサ」を発表 「『戦前』」の思考を巡って」を『すばる』4月号に発表 「交通空間についてのノート」を『Anywhere』に発表 「カント的転回」を『現代思想』臨時増刊号に発表 | ||
4月 | 近畿大学文芸学部大学院研究科の客員教授になる 3日、ボストンで開かれたAASで講演、パネル「差別をめぐるシンポジウム」 「神話の理論と理論の神話」(村井紀との対談)を『國文學』5月号に発表 | ||
5月 | 「『戦前』の思考を巡って」(インタビュー)を『すばる』6月号に発表 | ||
6月 | 「戦後文学の『まなざし』」(紅野謙介によるインタビュー)を『海燕』7月号に発表 モントリオールで開催されたANYの会議で講演、パネル | ||
8月 | 3日、熊野大学シンポジウム「差異/差別、そして物語の生成」で浅田彰、渡部直巳ほかと参加 「三〇歳、海へ」を『中上健次全集』第三巻の「解説」に執筆 「中野重治のエチカ」(大江健三郎との対談)を『群像』9月号月号に発表 | ||
9月 | 「アレックス・デミロヴィッチと対話する(『情況』) 「差異/差別、そして物語の生成」(渡部直巳・浅田彰・奥泉光との座談)を『すばる』10月号に発表 | ||
10月 | 20日、「日本にも『小説』はある」を『読売新聞』夕刊に発表 11月にかけて、「柄谷行人『集中』インタビュー」のため、「『啓蒙』はすばらしい」(インタビュー・坂本龍一)、「共同体・世界資本主義・カント」(インタ ビュー・奥泉光)、「『柄谷的』なるもの」(インタビュー・金井美恵子)を受ける(翌年『文學界』2月号に掲載) | ||
11月 | デューク大学で開かれたグローバリゼーションをめぐる国際会議で講演 大江健三郎について『読売新聞』に発表 | ||
12月 | 「文学と思想」(蓮實重彦との対談)を『群像』1月号に発表 済州島で開かれた日韓作家会議で講演 | ||
1995年(平成7年)54歳 | |||
1月 | 福田恒存追悼「平衡感覚」を『新潮』2月号に発表 | ||
2月 | 「『もの自体』について」を『Anyway』に発表 | ||
4月 | カリフォルニア大学アーヴァイン校で三日間のワークショップに参加。ジャック・デリダが、柄谷の提出した二論文、Ecriture and Nationalism, Non-Cartesian Cogitoについて発表 「世界と日本と日本人」(大江健三郎との対談)を『群像特別編集』に発表 ワシントンで開催されたAASで講演 | ||
5月 | 立命館大学で「中上健次について」講演 | ||
6月 | 『中上健次全集』刊行シンポジウム(集英社)に出席 ソウルで開かれたANYの会議で講演、パネル 「中上健次とフェニミズム」を『すばる』7月号に発表 「いかに対処するか—柄谷行人氏に聞く」(石原千秋のインタビュー)を『國文學』7月号に発表 | ||
7月 | 近畿大学大学院研究科のセミナーで「宗教について」講義 「中上健次とフェミニズム」を『すばる』8月号に発表 | ||
10月 | 「歴史における反復」を『批評空間』第 II 期7号に発表 | ||
11月 | 4日、早稲田大学学生祭で講演 16日、松江で開催された日韓作家会議で講演(「責任とは何か」)(『すばる』に掲載) 23日、京都大学十一月祭の「京都学派」シンポジウムで大橋健三郎、浅田彰とパネル | ||
12月 | 「柄谷行人特集」(『「解釈と鑑賞」別冊』)に「批評のジャンルと知の基盤をめぐって」(関井光男のインタビュー)を発表 『坂口安吾と中上健次』を太田出版から刊行 | ||
注・雑誌の発行年月は、現実の動向に合わせて実際に発行された年月を記述し、誌名に月号などを明示した。 |