生活クラブとの対話
<特別インタビュー>
世界危機の中のアソシエーション・協同組合
柄谷行人と生活クラブとの対話
お 話: | 柄谷行人 |
聞き手: | 加藤好一(生活クラブ連合会会長) 澤口隆志(市民セクター政策機構理事長) |
協同組合への関心
「社会運動」は、全部読んでいるわけではないけれどもいつも目を通しています。僕は協同組合に関心がありますが、よく知っているわけではありません。だから、皆さんの前で、僕が協同組合に関して話すのは気がひけます。ただ、僕は協同組合の現実については知らないが、その意味については考えてきました。僕の話は、そのようなものとして聞いてください。
たとえば、この前の「社会運動」に、フィンランドのことが特集されていましたが、実は、今世紀の初め、NAM(New Associatinist Movement)をやっていた頃、僕のところにフィンランドとスウェードンから大学院生が来ました。NAMに興味があるというので、君らが僕から学ぶことなんか何もないでしょう、僕が考えているようなことは、北欧には全部あるじゃないですか、と言いました。北欧では、協同組合は長い伝統をもっています。日本でいえば、江戸時代からあるわけです。しかし、それに対して、一人の学生がいったことが、面白かった。彼は、協同組合というと、爺さんや婆さんがいう、伝統的な慣習だと思っていた。僕のものを読むまで、そんなに立派なものだということに気づかなかった。僕の本を読んで、伝統のよさを発見した、というような感じです(笑)。
最近、フィンランドは日本で人気があるでしょう。OECDによる国際的な学習到達度(PISA)はフィンランドがトップだった。では、なぜフィンランドは学力が高いのか。フィンランドから学べ、ということになる。これは資本主義的な観点からの評価です。しかし、フィンランドでは、別に、資本主義的競争のために、学力強化をはかっているわけではない。そんなことをやっていたら、むしろ点数は下がるでしょう。フィンランドはそのような発想がないからこそ、学力でも最上位になっている。彼らは資本主義的な競争や格差を作らないようにしています。結果的に、学力が上がっただけで、そんなことを価値とみなしているのではない。
しかし、フィンランドの人たちが、自分らのやっていることの意味をわかっているわけではないのです。彼らはむしろわからないで、実行している。あるいは、実行していると、その意味を考えないのかもしれない。同様に、たとえば、協同組合を実行していると、むしろ、それがもつ意義については考えなくなる。だから、僕のような者がいうと、びっくりするということがありうるだろう。まあ、そう思って、今日はここに来たのです。
理念の再建
たとえば、昔からよく使われている言葉で最小限綱領とか最大限綱領という言葉があります。最小限綱領とは、だれでも賛成できるようなところから始めて、おいおいとやっていこうということです。一方、最大限綱領とは、高い目標を掲げるものです。
小限綱領は、現実の運動をやっていると、必要だと思います。なぜなら、いろんな意見や利害をもった人たちの中でやっていくとしたら、誰でも納得して賛成するようなことから始めるのは当然だからです。でも、これはちょっと問題があります。たとえば、「平和」というと、誰も反対できない。しかし、「平和」を掲げる運動に入っていくと、いつのまにか、別の目的をもった政治運動に入っていることに気づきます。だれでも共有できるようなテーマでやっているのだから、誰でも来るか、というと、そうはいかない。その割には、人は来ないのです。どうせ何か隠れているだろう、というのがまずあるのでしょう。さらに、運動というものには、ひとの情熱をかき立てる何かが必要だ。つまり、高い理想が必要だ。だから、だれでもできるようなことは魅力を持たないと思うのですよ。
たとえば、僕はこの間まで大阪のほうにいたので、共産党が宣伝カーでいろいろしゃべっているのを見かけましたが、そのとき、驚いたことがある。「共産党とは共に産み出す党なのであります」と話しているのです。 それは、漢字の訳語から勝手に考えた、インチキな考えです。 (笑) 。また、「共産主義というのはイタリア語でコムーネ、つまり共同体なのであります」と言っていた。こんなことを街頭でしゃべってどうするんだ、と思いましたが(笑)、考えてみると、彼らは共産党という名前が嫌なのだと思います。共産党という名前が付いているけれども、どうもそれを隠したい。それなら、イタリア共産党のように名前を変えればいいのに、宮本賢治がいるからそうできない。だから、共産党の意味は、本当はこうこう、こうですよ、というわけです。
共産党はずっと、「平和とよりよき生活」という最小限綱領でやってきました。選挙で一般大衆の票が欲しいからです。しかし、それは「共産主義」という最大限綱領を隠すことです。もちろん隠してもいいが、それがどういうものかをはっきりさせておかねばならない。共産主義になると、失業が無くなります、というようなことではだめです。一般に、新左翼でも、最大限綱領を言わなくなりましたね。たとえば、某党派では、ダンスパーティーだといって人を勧誘する、という(笑)。ついていくと、二三度目には正体が分かってくるけれども、その時はもう抜けられなくなっているという、蟻地獄のような組織ですね。
とにかく、最小限綱領とは、誰もが賛成できるようなことから出発するということですね。しかし、それだけでやっていると、だめになります。活動家も非活性化する。最大限綱領とは「理念」だ、といってもいいでしょう。この理念がないと、運動は続かないし、堕落してしまいます。たとえば、協同組合をやっていると、最小限綱領でやることができます。しかし、それでいいか、というと違います。協同組合運動は、その起源からいって、オーウェンのような社会主義運動の理念に根ざしています。また、マルクスもそれに注目していた。こうした起源あるいは理念を忘れてしまうと、協同組合運動はどんなに繁栄しても、活力がなくなってしまう。
理性の罠
現在、人々が最大限綱領について語らないのは、理念を否定したからです。それがポストモダニズムですね。そういう中で、一九九〇年以来、僕がやろうとしてきたのは、いわば「理念」を再建することでした。それを考えるようになったのは、一切の理念は幻想だ、仮象だ、といわれるようになった時期からですね。
そのとき、僕はカントを読みなおした。というのは、カントこそ、理念を仮象だといった人だからです。その場合、カントは、仮象を二つに分けました。一つは、感覚に由来するものです。これは、理性によって見抜けるし、訂正できます。たとえば、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と言う。理性的に見れば、枯れ尾花にすぎない。ゆえに、仮象を除くことができます。
ところが、取り除けない仮象がある。たとえば、自分というものがそうです。昨日の自分と現在の自分が同じである。そういう自己同一性は、ヒュームがいったように仮象です。それはたんなる社会的な要請であり慣習にすぎない。しかし、自己同一性という仮象をもたないとどうなるか。統合失調症になるほかないのです。
このような仮象は、理性そのものが必要とする仮象だ。仮象だと分かっていても、取り除けない仮象、カントはそれを超越論的仮象と呼びました。理念というのも、実は超越的な仮象です。自己という仮象をもちえないと、統合失調症になるといいましたが、歴史の理念についても同じことがいえます。実際、歴史的理念を否定すると、そのままで耐えられない。いわば、統合失調症になるのです。さもなければ、もっと露骨な幻想、つまり、宗教に向かうことになります。
ある種の問題は、幻想だ、仮象だといって、片づけられるものではないのです。
カント以前の哲学は、感覚による誤りを、理性によって正すというものでした。しかし、カントは違う。形而上学とは、理性が不可避的にもたらす誤謬、あるいは仮象です。しかし、それを正すにはやはり理性しかない。ゆえに、理性によって理性の誤謬を正そうというのが、カントの「批判」なのです。それは理性の否定ではなく、理性による理性の批判、です。
さらに、僕はよくいうんですが、カントが理念を、二つに分けたことが大事だと思います。彼は、構成的理念と統整的理念を、あるいは理性の構成的使用と理性の統整的使用を区別した。構成的理念とは、それによって現実に創りあげるような理念だと考えて下さい。たとえば、未来社会を設計してそれを実現する。通常、理念と呼ばれているのは、構成的理念ですね。それに対して、統整的理念というのは、けっして実現できないけれども、絶えずそれを目標として、徐々にそれに近づこうとするようなものです。カントが、「目的の国」とか「世界共和国」と呼んだものは、そのような統整的理念です。
僕はマルクスにおけるコミュニズムを、そのような統整的理念だと考えています。しかし、ロシア革命以後とくにそうですが、コミュニズムを、人間が理性的に設計し構築する社会だと考えるようになりました。それは、「構成的理念」としてのコミュニズムです。それは「理性の構成的使用」です。つまり、「理性の暴力」になる。だから、ポストモダンの哲学者は、理性の批判、理念の批判を叫んだわけです。
しかし、それは「統整的理念」とは別です。マルクスが構成的理念の類を嫌ったことは明らかです。未来について語る者は反動的だ、といっているほどですから。ただ、彼が統整的理念としての共産主義をキープしたことはまちがいないのです。それはどういうものか。たとえば、「階級が無い社会」といっても、別にまちがいではないと思います。しかし、もっと厳密にいうと、第一に、労働力商品(賃労働)がない社会、第二に、国家がない社会です。
国有化と社会主義
たとえば、社会主義というと、一般に、資本主義的株式企業の国有化だと思われています。レーニンもトロツキーもそういったのです。しかし、マルクスはそんなことを絶対にいわなかった。国有化は、資本主義を越えるものではまったくない。国有化と資本主義は矛盾しない。その証拠に、現在でも、巨大企業が危機に陥れば、国有化によって崩壊を回避します。たとえば、最近、アメリカではGMが倒産して国有化された。もちろん、これは資本主義の揚棄ではまったくない。
一般に、国営企業は、民間の株式会社ではできないような巨大な資本集積を可能にします。だから、明治日本のような後発資本主義国では、たとえば、製鉄業は国営企業として開始され、やがて民営化された。その意味で、株式会社は国営企業よりも発達した形態なんですね。マルクスは、株式会社は「共産主義に飛び移るための」「最も完成された形態」であるといっています。それを、協同組合(共同占有)のかたちにすることが社会主義なのです。ゆえに、それを国有化すれば、社会主義からはますます遠のくだけです。
マルクスが社会主義への一歩として考えたのは、株式会社を協同組合に切り換えることでした。それは国有化ではない。いわば、労働者の自主管理です。各人が経営者になるから、賃労働は無くなる。「労働力商品」が無くなる。その意味で、資本主義社会が揚棄されるわけです。
それに対して、国有化では、賃労働者は国家公務員、つまり、国家の下での賃労働者になるだけです。また、農民は集団農場に従属するようになる。むしろ、資本主義以前のアジア的な国家に戻ってしまう。事実、ソ連や中国ではそうなった。国有化は、当然、国家官僚機構を強化することになる。国家の揚棄とは、まったく逆です。このように国家によってなされる計画経済は、「社会主義」とはまったく別のものです。それは「国家主義」です。たとえば、戦前の日本で近衛の新体制というのは、実は、ソ連の真似をしていたのです。そのようなものが「理性の暴力」に帰着するのは当然です。
しかし、社会主義は国有化にある、という考えは、マルクス主義者の間で、まだ本当に否定されているわけじゃない。先ほどいったように、彼らは「最大限綱領」を隠しているので、よくわからない。たとえば、宇野弘蔵は産業資本主義が「労働力商品」にもとづくことを強調しましたが、いったいどうしたら、労働力商品が揚棄されるのか、といえば、何もいわなかった。当然、それは、協同組合化に決まっているのです。しかし、宇野派もふくめて、マルクス主義者は協同組合について語らなかったし、それは今も同じです。やはり、国有化が当然だと考えているのだと思います。
マルクスは『資本論』の中でも、協同組合工場を高く評価しました。ただ、彼はこう考えた。協同組合工場は無力であり、資本制企業との競争にさらされて、つぶれるか、もしく、資本制企業と同じようになる、と。協同組合が発展して、株式会社に優越するようになる可能性はない。しかし、これは、協同組合化の意味を否定することではないのです。マルクスは、資本主義の揚棄は、株式会社を協同組合化することにあると考えていた。ただ、それは、一つ一つの企業でなされることはできない。株式会社の協同組合への切り換えのためには、現在の法制度を変えないといけない。その意味で、国家権力の掌握が必要なのです。しかし、それは国有化のためではありません。
たとえば、プルードンのようなアナーキストは、国家権力を握る「政治革命」に反対しました。それにかわって、信用システム・代替貨幣、協同組合による「経済革命」を主張した。経済革命によって、階級がなくなれば、国家は自然に消滅してしまう、というのです。マルクスはそれを批判した。代替貨幣(地域通貨)が貨幣にとってかわることはできない。協同組合が資本制企業にとってかわることはできない。そのためには、法制度的な改革が必要であり、やはり政治的権力をとる必要がある、とマルクスは考えたのです。
この点で、マルクスとプルードンは極度に対立するように見えます。しかし、案外、違わないのです。マルクスが国家権力をとって、というのは、別に、国家によって何かを行うためではない。むしろ、国家は何もしなくてもよいのです。政権によって変わるのは、たとえば、株式会社に関する法です。
株式会社では、株券を過半数所有すれば、経営権が得られる。これを、協同組合の原則である、従業員一人一票によって決定することにする。そうすると、賃労働はなくなります。労働者が主権者となる。といっても、特に変わるわけではないですね。労働には多くの種類があり、労働者にもいろんな能力や適性の差があるわけです。マルクスは、オーケストラに指揮者が必要だという比喩を使っていますけど、経営、つまり、協業と分業を指揮監督するような労働は、誰でもができるわけではない。だから、協同組合化しても、経営者が残るけれども、それは労働者によって、直接民主主義的に選ばれた者です。そして、給料も多くない。もっと将来には、こういう監督労働は、くじ引きで選ばれるようになる。そうなると、「共産主義」社会でしょうね。
一国では不可能である
しかし、こういう変革は簡単なようで難しいのです。たとえば、一つの株式企業で「協同組合化」、あるいは「労働者の自主管理」を行うとします。そうすると、第一に、法的な規制やさまざまな国家の介入があります。第二に、他の株式会社との競争にさらされます。そうなれば、絶対に負ける。なぜなら、協同組合は、競争のための組織ではないからです。したがって、個々の企業で、それを内部から変えていくというようなことはできない。個々の企業を越えた、国家的なレベルで、それを行う必要があります。
しかし、一国のレベルでやっても、困難は同じです。一国でこういうことをやると、たちまち、外国が干渉してくるし、関係が悪化します。また、これによって経済競争力が低下しますから、ナショナリズムを煽って反対する運動がおこる。だから、資本制の揚棄や協同組合化といっても、一国だけでは成り立たないのです。したがって、国家を越えたレベルが必要になる。
しかし、この点で、マルクスは十分に考えていないと思います。彼はアナーキストと同じです。プルードンと同様に、マルクスは、経済的な階級対立が消えれば、国家は消滅すると考えていた。だから、一時的ならば、プロレタリア独裁をやってもいい、と思っていた。その間に、階級対立の原因(資本と賃労働)を解消してしまえば、国家はじきに消滅する、と。
マルクスは、国家がそれ自身、自立的な主体であるとは考えなかったのです。それは国家をその内部だけから見ていたからです。その点では、プルードンと同じです。プルードンは国家の廃棄という問題を、一国の中だけから考えていた。国家が他の国家に対して存在するということを考えていなかった。マルクスも同様です。彼がプロレタリア独裁を認めたのは、彼が国家主義的だったからではなく、国家を簡単に消滅させられると考えるアナーキストだったからです。
むろん、マルクスは社会主義革命が一国で可能だとは考えなかった。一国で社会主義革命が起こるとどうなるか。それは一九世紀においても明白でした。社会主義革命がおこると、祝福されるどころか、たちまち外国からの干渉が来る。たとえば、パリ・コンミューンは、普仏戦争でフランスが敗北した一八七一年に生まれたわけですが、当然、戦勝国ドイツからの干渉がある。だから、二ヶ月で倒された。
ロシア革命も同じです。これもまた、ロシアの敗戦とともにおこったし、さらに、革命に対する外国からの干渉があった。例えば日本は、ロシア革命に干渉してシベリアに十年ほど軍隊を残しています。アメリカよりも長くいた。ちなみに、日本では、第二次大戦後、日本兵がシベリアに抑留されとき、それを、ソ連は日露戦争の復讐をしているのだという人がいたけれども、もしそういうことをいいたいなら、ロシア革命への干渉、シベリア出兵への報復というべきでしょう。要するに、社会主義革命はけっして祝福されない。ほかの国がすぐ妨害にやって来ます。だから、一国内で、国家の揚棄というのは、ナンセンスなんです。
国家を廃棄する革命が起こっても、干渉し侵略してくる他の国家に対して、それを防衛しようとすれば、国家を強化するほかない。事実、ロシア革命は国家を揚棄するどころか、強力な国家をもたらしただけです。しかし、このことは、彼らが国家主義者だったからではない。その反対に、国家を否定する、ただし、国家の自立性を軽視する考え方から、結果的にもたらされたのです。
マルクスは、一国だけの社会主義革命はありえないと考えていた。彼の考えでは、それは「世界同時革命」でしかありえない。では、それはいかにして可能なのか。一八四八年の革命は、二月にフランスに始まり、鉄道とともに、ヨーロッパ各地に伝播した。だから、ほぼ「世界同時革命」なのですが、それ以後は違います。
マルクスをふくむ社会主義者らは、一八六三年に、国際労働者協会(第一インターナショナル)を結成した。それが「世界同時革命」の基盤となるはずでした。しかし、産業資本主義と近代国家の発展段階がさまざまに異なる各国の運動を統合するのは難しいのです。「第一インターナショナル」には、社会主義をめざす先進資本主義国の活動家も、イタリアのようにネーション=ステートとしての統一を課題としている国の活動家も混じっていた。また、第一インターナショナルではマルクス派とバクーニン派が対立しましたが、それはたんに、権威主義とアナーキズムの対立というようなものではなかった。そこには各国の社会的現実の差異が潜んでいたからです。
たとえば、スイスの労働者はアナーキストでありバクーニンを支持しました。それは彼らが主として時計職人であり、ドイツやアメリカで急激に発達した機械的大量生産に追いつめられていたということと無縁ではないでしょう。一方、ドイツでは、産業労働者はアナーキストなら嫌悪する組織的な運動に適合していました。そのため、マルクス主義者とバクーニン派の対立は、ナショナリズム的対立と結びつくことになります。バクーニンはマルクスを汎ゲルマン主義の手先というし、それに応じて、マルクスもバクーニンを汎スラブ主義の手先と言い返した。
つぎに、第二インターナショナルが、ドイツのマルクス主義者を中心にして結成されました。しかし、ここでも各国の差異が大きくて、またナショナリズム的な対立の要素も強かった。その結果、一九一四年第一次大戦勃発とともに、各国の社会主義政党がそれぞれ参戦を支持する方向に転向したわけです。このことは、各国における社会主義運動がいかに連合(アソシエート)していても、いざ国家が現実に戦争に踏み切ると、それに抵抗できない、相互に分断されてしまう、ということを示しています。
ロシア革命のあと、第三インターナショナル(コミンテルン)が結成されました。これまでは、影響力の差はあっても、どの国の運動も対等な立場にあったのですが、第三インターナショナルでは、国家を握ったソ連の共産党が優位に立ちました。その結果、各国の運動はソ連の共産党に従い、また、国家としてのソ連邦を支援するようになる。しかし、同時に、国際的な共産主義者の運動は、これまでになかったような現実的な力をもつようになったといえます。各地の社会主義革命は、資本主義強国の干渉を免れることができたからです。同時に、それらはソ連邦に従属し、その世界=帝国型のシステムに組み込まれた。
国連と世界共和国
「世界同時革命」の歴史は、大まかにいえば、以上のようなものです。それは今でもあります。たとえば、現在でも、ネグリやハートは、マルチチュードの反乱というとき、世界同時革命を考えているわけです。しかし、彼らは、これまでの経験を無視している。ただのスローガンにすぎません。現実には、そのような運動は各国、各地域で分断されてしまいます。たとえば、アルカイダはマルチチュードの反乱の典型というべきですが、ネグリらはそれをイスラム派の運動として全く無視している。
社会主義革命は、一国の内部でしかありえない。しかし、一国だけでは成立しない。こういうディレンマが昔からある。「世界同時革命」は、このディレンマを解消するものですが、それ自体が困難です。これまでの「インターナショナル」の歴史がそれを示しています。
僕が気づいたのは、同じ問題を、カントが考えていた、ということです。彼は、それをルソーがいうような市民革命に関して考えた。一国で市民革命が起こると、他の絶対主義王権国家が干渉し破壊しようとやってくる。だから、「国家連合」のようなものが必要だというのです。カントは一七九五年に『永遠平和のために』を刊行したのですが、もともと彼はそれを考えていたのです。実際、フランス革命で、そういう革命への干渉から防衛戦争、さらにナポレオン戦争へと発展したわけです。
カントがいう「永遠平和」は、たんに戦争がないだけでなく、国家間の敵対がない状態、すなわち、国家が揚棄された状態を意味します。カントは、国家がつねに他の国家に対して存在することを踏まえて、その上で、国家を抑え込む方法を考えたわけですね。そして、国家連合を構想した。カントは、これを「世界共和国」つまり国家と資本が揚棄された社会にいたるための、現実的な第一歩として提案したのです。もちろん、「世界共和国」は統整的理念であって、けっして実現されない。しかし、それに近づくリアリスティックな方法として、国家連合を構想したわけです。
これは、ある意味で、「世界同時革命」の方法だと思います。カントの理念は、第一次大戦後、国際連盟、第二次大戦後、国連というふうに、少しずつ実現されてきました。もちろん、国際連盟は無力であったし、現在の国連も無力です。しかし、だからといって、それを否定してはならない。われわれはむしろ、国連を、国家を揚棄するための過程としてとらえ、各国における国家と資本への対抗運動をそこに結びつけることで、それを推進すべきだと思います。それは漸進的な世界同時革命です。
最後にいっておくと、資本は、M-C-M‘(M+⊿M)という定式で表現されます。いいかえると、資本は自己増殖するかぎりで資本なのです。つまり、成長できなくなると、資本ではなくなる。産業資本主義の成長は、つぎの三つの条件を前提としています。第一に、産業的体制の外に、無尽蔵の「自然」があるという前提。第二に、資本制経済の外に、「人間的自然」が無尽蔵にあるという前提。第三に、技術革新が無限に進むという前提です。
しかし、この三つの条件は、一九九〇年以後、急速に失われています。すでに一九七〇年代に、世界資本主義は利潤率の低下に見舞われた。それは、長期利子率の低下によって示されますが、以来、上がっていません。一九九〇年以来、世界資本主義は、中国やインドのおかげで、何とかもっていますが、このような巨大な農業国が工業化すると、第二の前提が崩れる。それは労働力商品の高騰、および消費の停滞に帰結する。第一の前提に関してはいうまでもない。それはすでにグローバルな「気象変動」や「砂漠化」に帰結しています。
結局、経済成長がない社会に向かうと思います。しかし、だからといって、資本主義は自動的に終わるわけではない。国家がそれに抵抗するでしょう。人々はパニックに陥って、ファナティックな宗教やナショナリズムに向かうでしょう。今後の問題は、そういう危機に対して、どうするかということにあります。その場合、やはり、国連を介した国際的な運動を強めることが重要だと思います。
質 疑 応 答
加藤 柄谷さんのお話を聞くと、私は3冊くらいの本を思い出しました。
1冊目は、K.ポランニーの『大転換』です。交換様式の部分もありますけれども、ポランニーは、オーエンとオーエン主義者の失敗も含めたさまざまな実験を、すごいページを取って書いていますね。それから、オーエン的な協同村的というか、協同組合共和国みたいなイメージで、利潤は、分配しないで協同村建設のための基金にするのだと。2冊目は、先ほどカウツキーの話は出ましたが、もう一人のベルンシュタインの名前が出ませんでした。 私は、10年ぐらい前に亡くなった安東仁兵衛さんから、協同組合で仕事をしている以上はベルンシュタインを読め、とさんざん言われました。それで、亀嶋庸一さんの『ベルンシュタイン』を非常に面白く読みました。ベルンシュタインは、社会主義の最も正確な特徴記述は協同組合思想と結びつく時だ、と明快に言っています。
3冊目は、1980年に新自由主義が跋扈し始めた直後に、「西暦2000年における協同組合」という協同組合内部で出た報告書が出て、協同組合の危機であると、天下国家に宣言するということがありました。
残念なことに、現実の協同組合は、日本のみならず、世界に目を広げても、一部に評価されるものがあるにしろ、概して商業主義的な流れのなかで目標を見失っている、というような感じがしています。
それで、この3冊目の中で特に私が思い出したのは、「協同組合運動の先駆者たちは、協同組合的制度が次第に多くの信奉者を引き入れ、支配的な地位につき、そしてあらゆる分野で影響力を行使し、最終的に協同組合共和国を建設する日に、到達した。このような協同組合共和国をミクロレベルで建設することはいまだに可能である。しかし、ミクロではなく全国規模で建設するという、ユートピア的なビジョンを持つ協同組合員は今はいない。」 私はこれが非常にショックでした。機会があればお会いしてお聞きしようと思っていたわけです。
柄谷 皆さんがあまり知らないだろう名前が出てくるので、ちょっと説明しておきます。ベルンシュタインは、晩年のエンゲルスの弟子です。カウツキーは早くドイツに帰ったが、ベルンシュタインはイギリスに残って、エンゲルスの助手のようなことをやっていた。エンゲルスの遺産相続人になったぐらいですから、信頼が厚かったはずです。そのベルンシュタインが、エンゲルスの死後、『共産党宣言』以来のマルクス・エンゲルスの革命論を時代遅れだ、といったわけです。
それを、裏切りだ、修正主義だ、といって批判したのがカウツキーです。このカウツキーは、ロシア革命のいわゆる二月革命、というより、レーニンとトロツキーによるクーデターを非難した。社会主義は民主主義革命でなければならないのに、クーデターによる権力強奪で、社会主義の名誉を台無しにしてしまった、といった。そのため、レーニンによって「背教者カウツキー」として糾弾されました。もっとも、その前に、カウツキーはドイツの戦争を支持していたのですが。
レーニン以後のマルクス主義者の間では、ベルンシュタインもカウツキーも極悪人ということになっています。ただ、僕はこの二人は、それぞれ面白いところがあると思います。ベルンシュタインは、イギリスに長くいて、イギリスの社会主義運動から多くを学んだ。ヨーロッパ大陸の革命運動は、産業資本主義が未発達なところでの運動です。産業資本主義が本当に発展すると、それは通用しない。暴力革命も不要である。議会制民主主義でも、社会主義は可能である。エンゲルスもそう考えていました。
ベルンシュタインはその考えをもっと進めただけです。しかし、それは、マルクス・エンゲルスにあった問題を解決するというものではなかった。そのかわりに、彼はイギリスの社会主義運動から学ぼうとした。イギリスには、ジョン・スチュアート・ミルのような社会主義、あるいはフェビアン協会のような社会主義がありました。
たとえば、ベルンシュタインは『マルクス主義の改造』という本で、エンゲルス以下マルクス主義者の中で軽視されているが、協同組合がいかに重要であるかを強調しています。実際、エンゲルスは巨大な株式会社を国有化すれば、ただちに社会主義が可能だと考えていた。しかし、ベルンシュタインは、そのような考え方がマルクスに由来するという。それは違います。先ほどいったように、マルクスは協同組合を称賛しながら、同時に、その限界について指摘しています。それは正しい、と思います。
たとえば、ジョン・スチュアート・ミルは『経済学原理』(第七章)で、労働者管理型企業を提案しています。人々はそのような企業で働くことを好む、ゆえに、賃金が低くても効率的となりうる、ゆえに、資本主義企業との競争に勝ち、平和的にとってかわるだろう、と考えた。しかし、全くそうなっていない。そのような企業は、資本制企業との競争に勝てないからです。マルクスは、労働者管理型企業に反対しないでしょう。しかし、それが自然に成り立つ、と考えることを批判するでしょう。
結局、資本主義体制があるかぎり、協同組合は、消費など、局所的な分野ではやっていけるが、それ以上になりえない。もちろん、そのような協同組合があったほうがいい。しかし、それが拡大して資本主義にとってかわると考えるのは、まちがいです。社会主義はあくまで、協同組合化によってある。だから、現実の協同組合と、理念としての協同組合、この二つを混同しないことが大切です。加藤さんが引用された言葉でいうと、ミクロレベルの協同組合とマクロレベルの協同組合の二つを混同しないこと。マクロレベルの協同組合とは、「理念」ですね。
僕の考えでは、ベルンシュタインは、社会主義の理念を唱えているだけでなく、現実に何が可能なのか、と考えようとした。それはよいと思う。しかし、彼はそうしている間に、理念、つまり、統整的理念としての社会主義を放棄してしまった、と思います。そうなると、現状を肯定することになってしまう。実際、彼は、ドイツの植民地支配、帝国主義は正当性があると書いたりしています。もし「理念」があるならば、現実的妥協は構わない。しかし、そうでないと、どこまでも堕落してしまいます。
一方、カウツキーも僕は面白いと思っています。カウツキーは、たとえば、「キリスト教の起源」とか、「中世の共産主義」というような本を出している。それは共産主義を、近代以前の宗教運動に遡って考えるものです。これはエンゲルスの影響でしょう。彼は若い頃、『ドイツ農民戦争』を書いたけれども、そこで、宗教的指導者T.ミュンツァーに共産主義を見出した。つまり、当時、社会主義者は宗教に対して否定的であったけれども、エンゲルスはむしろ、宗教にこそ、共産主義運動の最初のあらわれを見出した。カウツキーは、それをもっと大がかりにやろうとした。ただし、彼はそれを西洋とキリスト教に関してしか考えていない。ただ、これは、大事な問題だと思います。
生産する消費者運動
澤口 生活クラブは、消費者運動と流通では生活関連で言っていますが、そこに注目されている。特にご著書の中では、消費協同組合に生産過程とか協同過程とか、そういうことを含めて、プランしていくような可能性というかたちで書いておられます。協同組合というものが、マルクス以来注目されてきた理由というんでしょうか、もう一度お伺いしたいと思います。そういう意味で、生活とか消費を意識した労働運動という、消費から始まって労働へというのと、協働から始まってもやはり女性たちが地域にあった。そういうものを、柄谷さんが理論的に描いてくれているなというのが私の勝手な見方なのですが。
柄谷 そうですね。マルクス主義者はいつも「生産」を重視して、「交換」を二次的なものとして見てきた。それに対して、僕は、交換を根本においたのです。最初にそう考えたのは、産業資本主義の剰余価値、あるいは搾取といった問題を、奴隷労働と同じように考えてはいけないと思ったからですね。
産業資本主義もその始まりにおいては、奴隷労働に近いものでした。だから、それに対する闘争も激しいものだった。しかし、イギリスでは一八四八年に労働組合が合法化されています。だから、それまでの労働運動とは根本的に変わってきたのです。もちろん、今でも、奴隷労働のようなものは世界中にあります。100円ショップなどの製品が、作られている現場まで行くと、おそらく奴隷労働のような現実があることはまちがいない。数年前にパリに行ったとき、ある建物を指して、ここの地下の工場で、中国人が奴隷的な労働をしているといわれたことがあった。しかし、そのような奴隷労働というだけで、産業資本主義を理解することはできない。
労働運動とか、階級闘争というと、どうしても、奴隷の主人への反逆というようなイメージになってしまう。しかし、産業資本主義の特性は、労働力商品を扱うところにあります。商人資本は商品を扱う。それは、ある物をそれが安いところで買って、高い所で売ることから剰余価値を得る。だから、遠隔地交易になります。その場合、商品は奢侈品で、買う人は貴族や金持ちです。また、奴隷制では、労働者自身を商品として扱う。
一方、産業資本の特性は、労働者に賃金をはらって雇い、働かせるのみならず、さらに、労働者に彼ら自身が作った物を買い戻させる、そういう自己再生的システムにあります。そして、そこに差額があるとき、剰余価値を得るわけです。また、生産物は、日常品が中心になります。産業プロレタリアの特性は生産手段をもたないことにあるといわれますが、それは、貧しいということを意味するよりも、土地をもたず自給自足もできないから、物を買う消費者だということにあるのです。奴隷も農奴も生産はするが、物を買わない。消費者にはなりません。
だから、そういう労働者が資本に抵抗するとき、奴隷の反乱のイメージでいうのはおかしい。資本が剰余価値を実現するためには、たんに生産点で労働者を搾取するだけではなくて、それを労働者に買ってもらわないといけない。労働者は生産の場では、資本に従属します。労働の契約に合意しているからです。しかし、消費の場では、資本に対して、主人です。実際、「お客様は神様です」というでしょ(笑)。だから、賃労働者の資本に対する闘争は、それが奴隷であるような場ではなく、主人であるような場でやればよい。
ラルフ・ネーダーが1970年ごろから消費者運動を始めた。以来、労働運動は古いというような意見を言う人が出てきた。しかし、消費者運動も労働運動です。労働者が戦う場を、生産点ではなく、消費の場に移しただけなのです。しかし、現実に、労働運動と消費者運動は分離されています。すると、労働運動は弱くなったということになる。そういう考え方を、僕は批判したかった。
そうなると、「生産」を優位におく考え方に対する批判に行き着くのです。生産点というと男性が多く、消費の場というと女性が多い。だから、労働運動は男性的で、消費者運動は女性的である、という印象があります。しかし、それはまちがいだと思う。それは生産を優位に置く考え方とつながっている。
最初はそういうことから考えたのですが、次第に、「生産」ではなく、「交換」ということを一般的に考えるようになったのです。たとえば、人間と自然の関係は、生産といわれます。しかし、生産には、必ず廃棄が伴う。その廃棄物を処理するのは自然です。そうすると、人間と自然の関係は物質代謝であって、いいかえると、それは物質交換なのです。環境問題は、工業化によって、この「交換」(エントロピー処理)がうまくなされないために生じるわけです。だから、「生産」だけで考えると、技術的な発展だけを見ることになりますが、「交換」を考えると、環境問題が見えてくる。
つぎに、いわゆる生産は、かならず何らかの生産関係の下でなされます。つまり、人間と自然の関係は、人間と人間の関係なしはありえない。人間と人間の関係は「交換」として見ることができます。いつも言うように、交換には三つのタイプがあります。Aは互酬性(贈与とお返し)。Bは略奪と再分配。Cは商品交換。どんな社会構成体も、この三つの組み合わせによって成り立っている。いわゆる未開社会は、Aが支配的な社会、Bが支配的な社会が、アジア的・封建的な社会、そして、Cが支配的な社会が資本主義社会です。といっても、他の要素が無くなるわけではない。たとえば、資本主義社会では、封建的な国家は近代国家に変形され、農業共同体はネーションに変形される。そして、資本=ネーション=国家という結合体になります。それを超えるのが、交換様式Dですね。
このことについては、『世界史の構造』という本を書いています。『世界共和国へ』(岩波新書)は、それを簡易化したバージョンです。完成するのに時間がかかると思ったので、簡易版を先に出したのですが、本論もそろそろ出来上がります。出たら、読んでください。
2009年5 月11 日生活クラブ連合会にて