カント再読
私は一九九〇年代に、カントからマルクスを読むとともにマルクスからカントを読むというような仕事をし、それを「トランスクリティーク」と名づけた。また、同じような仕事をフロイトとカントに関しても行なった。以来、私はカントについて考えたことがない。が、最近、トム・ロックモアの『カントの航跡のなかで―二十世紀の哲学』(牧野英二監訳・法政大学出版局)を読んで、多少考えることがあった。ロックモアのやり方が、私と似ていたからである。
現代の哲学者はそれぞれカントを越えたと考えている。カント研究者も何らかの現代哲学の立場に立ってカントを読んでいる。しかし、哲学の場合には、後続する者が先行する者より優れているわけではない、とロックモアはいう。彼は逆に、カントの立場から、現代の主要な哲学(プラグマティズム、マルクス主義、「大陸哲学」、分析哲学)を見ようとする。つまり、それら四派を、カントに対する一連の応答として考察する。その上で、それらがカントに応答するどころか、彼が達した地点を理解さえしていないことを示そうとした。
このような姿勢に私はまったく賛成である。しかし、やや失望を覚えたのは、彼のカント理解がほとんど通念を越えていないことであった。たとえば、カントがいう「物自体」、共通感覚、その他の基礎的概念について、標準的な理解しかなされていない。これでは、現代の哲学の盲点を指摘することはできないだろう。この問題に関しては、私は『トランスクリティーク』(MIT,2003)で詳細に論じているので、ここでは述べない。ただ、「カント以後の最も重要な核心は、カント以後の観念論者が歴史へと転換を遂げた点にある、と主張したい」という、ロックモアの主張について触れるにとどめる。これも型通りの見方であって、私はそれを疑う。カントはけっして非歴史的に考えていたのではない。彼は大学ではもっぱら地理学と人間学について講じていた。彼の関心が「世界史」にあったことはまちがいないのだ。にもかかわらず、彼は観念論的な歴史論に向かわなかった。彼をひきとどめたものは何か。それは目的論的な観点への疑いである。
『判断力批判』で、彼は「物質的なものの産出はすべてたんなる機械的法則にしたがってのみ可能である」という正命題と、「物質的なものの産出のなかにはたんなる機械的法則にしたがうのでは不可能なものがある」という反対命題を提示した。このアンチノミーから、彼はつぎのような解決を与える。世界はたんに機械的法則に従っている、ゆえに、目的論は仮象である。しかし、世界を目的論的なものと仮定して見ることは許される、と。
『判断力批判』においてカントが考えていたのは、実は、進化論の問題だった。いうまでもないが、進化論はダーウィン以前からあった。たとえば、ライプニッツも進化論的であった。カントはそれを批判的に吟味したのである。ついでにいうと、カントは『判断力批判』以後も、人間史(一般史)における「進化」の問題について、同様の観点から考えた。《ところで我々はこの場合に、作用する様々な原因の集合をエピクロス風の考えに従って、――諸国家は物質の微塵すなわち原子と同じく、偶然的な衝突に依って有りとある形態をとるが、これらの形態はまたもや新たな衝撃に依って破壊され、このような過程が何度となく繰返されたあげく、その形態を永く保持しうるような形態をいつかは偶然に獲得する(これはとうてい起こりそうもない僥倖である)、というふうに考えてよいのだろうか。それとも、自然は、この場合にも規則正しい経過を辿り、われわれ人類を導いて動物性という低い段階から人間性という最高の段階に到らしめ、しかもその方法としては、なるほど人間から無理取りしたにせよ、しかしもともと自然の意図に出づる巧みな手段を用い、こうして一見したところ野放図な無秩序のさなかに、自然が人間に与えた根源的素質を、極めて規則正しく開展する、というふうに考えてよいのだろうか》(「世界公民的見地における一般史の構想」)。
カントは一方で、エピクロス的な見地に立ち、歴史を目的論的に見ることをあくまで斥けたが、同時に、目的論的観点をとることが理性の統整的使用としてのみ許される、と考えたのである。理念は仮象でしかない。しかし、人はこの仮象なしにやっていけない。という意味で、統整的理念は超越論的仮象である。カント以後のロマン主義的哲学者は、このような観点をとらなかった。理念を実在と見なしたのである。彼らは生命(有機体)に特別の地位を与えた。つまり、有機体に、機械的決定論と合理論の二元性を越えるものを見出したのである。カント以後の「観念論」はむしろ、そこから来たといえる。
しかし、このような生命の見方は、一九六〇年代の遺伝子理論によって否定された。誰もいわないが、そのことが示したのは、カントの認識の正しさである。同様に、誰もいわないが、生物学のレベルでカント的アンチノミーを解決したのは、ダーウィンであった、と私は考えている。ダーウィンは生物界の進化を目的論的に見ることを斥けた。いわばエピクロス的な観点から見たのである。すなわち、個体の偶然的な変動(突然変異)を根本に見出した。と同時に彼は、個体が他と関係しあうような環境システムを見出した。偶然的な変異体は、環境システムの中で適合したときに存続し繁殖する。ゆえに、種の進化に目的はない。ただ事後的には、それが目的論的に見える。
ダーウィンはこのように、個体としての突然変異という次元と、環境システムという次元とを組み合わせた。このやり方はのちに、意外な人物によって受け継がれた。たとえば、ソシュールが歴史的言語学を批判したとき、同じやり方をしたのである。彼も、個々人による言語の使用(パロール)と、共時的な言語体系(ラング)を区別した。言語の変化には目的論的なものは何もない。個々人のパロールの次元ではたえず、言語の(偶然的な)変化がある。だが、そのような変化が定着するとき、(共時的)体系そのものが変わっている。ゆえに、歴史言語学派のように、個々の要素(語・音韻)をとりあげてその歴史的変化を見ることはまちがいである。ソシュールから影響を受けた現代の思想家は、そうと知らずに、ダーウィンの、ひいては、カントの論点をうけとったのだ。
もう一人、本人もそうと気づかずに、カントの論点を受け継いだ思想家がいる。若いマルクスである。デモクリトスとエピクロスを対比させた学位論文において、彼はもう一人の哲学者アリストテレスをたえず念頭においていた。すなわち、マルクスは、一方に、感覚論者であり機械的決定論者であり、且つその結果として懐疑論者であるデモクリトスをおき、他方に、目的論的・合理論的なアリストテレスをおいた上で、その「間」に唯物論者で原子の偏差を主張するエピクロスをおいたのだ。マルクスの考えでは、この原子の偏差こそが機械論的でないような変異(発展)をもたらすのだが、それはアリストテレスによって目的因として予定調和的に把握されてしまう。マルクスがつかむエピクロスとは、こうして、目的論と機械的決定論の双方を、原子の運動の偏差から批判する者である。
そのようにみれば、マルクスがカントの批判を踏襲していることは明らかである。そして、それが歴史を目的論的に見ることを斥け、さらに、構成的理念としてのコミュニズムを斥けることも。だが、そのことは統整的理念としてのコミュニズムを否定するものではない。この二つの理念を批判的に区別できなかった者は、一切の理念を否定する陳腐なポストモダニズムに帰着したのである。